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絶滅生物「オーロックス」が400年ぶりに復活する!!

現在、家畜化されているすべてのウシの祖先はオーロックスという動物です。このオーロックスは17世紀にはすでに絶滅してしまっています。そんなオーロックスを、交配により復元させようとした人たちがいます。彼らはどんな方法でこの絶滅した生物の復元を試みたのでしょう。そして、この復元にはどのような目的があったのでしょう。

絶滅したオーロックス

オーロックスはウシ科ウシ属で、前述したようにウシの祖先にあたります。体長は約2.5mから3.1mになります。体重は600kgから1000kgあり、大きいものは1500kgにもなったと考えられています。体色はオスが黒褐色または黒色で背中には白い模様がありました。一方、メスは赤茶色でオスより小さく、性的二型、つまりオスとメスの見た目の差が大きかったようです。オスメスともに角を持ち、大きく滑らかで、長さは80cmほどありました。

ジオちゃん

現在のウシよりもずっと大きかったんですね!

ユリウス・カエサルはガリア戦記の時、オーロックスについて言及しており、力の強さと動きの速さに驚いたと記しています。かつてはユーラシア全体及び北アフリカで見られましたが、各地での開発による生息地の減少や食用としての乱獲などによって消滅していきました。ポーランドの保護区で最後の個体群が保護されていましたが、密猟が絶えず、1620年には最後の一頭となっていしまいました。この一頭も1627年に死亡が確認され、こうしてオーロックスは絶滅しました。

ルッツ兄弟によるオーロックス復活計画

それからおよそ300年後、復活の試みが行われることとなります。この試みにはドイツ人の兄弟が携わっています。兄のルッツ・ヘックは、1892年、弟のハインツはその2年後1894年に生まれました。ふたりの父親は、ベルリン動物園の園長だったため、ヘック兄弟は動物に囲まれて育ちました。こうして彼らが動物学に興味を持ちはじめるのは当然のことでした。

1928年、ハインツがミュンヘンのヘランブルン動物園の園長になりました。そして、1932年には、ルッツが父親を後任し、ベルリン動物園の園長となっています。この兄弟はともに、オーロックスに対し、特別な関心をもっていました。そして、彼らは注意深い交配により、オーロックスをよみがえらせることができると信じていました。ヨーロッパバイソンは見た目がオーロックスと似ていたため、当時の人々はいつもこの二種を混同していました。そのようなことから、ヘック兄弟はオーロックスを忘却から救うために、オーロックスに似た個体を生み出して両種の違いをより多くの人に示したいと考えたのです。また、彼らは人類の犯した過ちを正したいという信念ももっていました。

彼らは壁画や木版画、書物に描かれたオーロックスや、残されていた骨格などを研究しました。そして、生きているオーロックスがどのようなものなのかを考えました。そして興味深いことに、この兄弟は別々にオーロックスの復活を試みたのです。

ハインツのプロジェクト

ハインツの方はコルシカ牛、ハイランド牛、ブラウンスイスなどの様々な品種を交配させました。そして1932年、初めてオーロックスに特徴が似た子牛が生まれ、「グラッフル」と名づけられました。この牛は、75%のコルシカ牛と25%のグレイ牛、ローランド牛、ハイランド牛、アンジェルンを交配させて生み出されたのもです。

しかし、ハインツはユダヤ人と結婚しており、また共産主義者だとの疑いから30年代の初めにはナチスに投獄されてしまいました。結局、彼は釈放されましたが、ナチズムとの軋轢は消せませんでした。

ルッツのプロジェクト

これとは対照的にルッツの方は、ナチスに抱えられました。彼は1937年に彼はナチ党に入り、ヘルマン・ゲーリングと親交を深めたのです。ゲーリングは軍人でヒトラーの後継者でした。そして彼はオーロックスの復活に非常に興味を持っていました。彼はドイツの叙事詩、「ニーベルンゲンの歌」に傾倒していました。この詩のなかで、英雄ジークフリートがヘラジカやヨーロッパバイソン、そしてオーロックスなどの動物を狩猟していたとされています。ゲーリングはこのようなジークフリートが生きていた時代の自然を再現させ、偉大だったころのドイツを復活させたいと思っていたのです。

こうして、ルッツのオーロックスを復活させるプロジェクトは支持されました。ルッツは弟とは違い、交配にスペインの闘牛のみを使いました。こうして生まれた牛たちの一部はポーランドの森林に放されました。1940年代までは生存していましたが、第二次世界大戦の終わりごろ、空爆によりすべての牛が死んでしまいました。その後、ルッツが生み出した牛は再導入されることはありませんでした。彼がつくった牛は攻撃的だったため、在来の生態系への影響が予測できないと考えられたからです。

ジオちゃん

闘牛の子孫なので攻撃的だったんですね!

ヘック牛

そしてルッツの牛は第二次世界大戦の終わりに絶滅しました。こうして弟のハインツの牛が残ることとなりました。彼の牛は、彼の名をとってヘック牛と呼ばれ、支持者たちから実験は成功したといまれました。

しかし、この兄弟の両方の牛はオーロックスとはあまり似ていませんでした。1950代頃からすでに、サイズが小さい、色や角の形が違うなどといった批判がありました。オーロックスの肩の高さは1.8mあったのに対し、ヘック牛は肩の高さが1.4mほどしかありません。そして、オーロックスより足が短く、頭が小さく、肩の筋肉が小さかったのです。そして、オーロックスの角の形はもっと前に向かって伸びていました。そして、前述したようにオーロックスは性的二型が大きかったのに対し、ヘック牛はオスとメスの差があまりありません。

ジオちゃん

つまり、ヘック牛は家畜動物の特徴が出ているということになります。

一部の専門家はスペインの闘牛の方がむしろオーロックスに近いとまで言っています。

現在、2000頭のヘック牛がヨーロッパに存在し、そのうちの600頭がオランダで自然に放されています。フランスでは100頭が放されました。ここでは人間がまったく干渉しない保護が行われていましたが、2005年と2010年の冬の冷え込みにより、多くのヘック牛が餓死してしまいました。そのため、2018年にはこの人間が干渉しない保護は中断することとなりました。

新しいオーロックス復活の試み

このことや、ヘック牛がオーロックスに似ていないという批判を受けて、1996年、ドイツの保護団体は、ヘック牛と南ヨーロッパの牛を掛け合わせてオーロックスを再現しようというタウルスプロジェクトを始めました。こうして作られた牛は、自然の景観と生物多様性の保全のためにヨーロッパの自然に放されることとなります。

さらに、2007年から、オランダの団体がヘック牛を使わないで、オーロックスの遺伝的に近い品種を使って再現しようとする、タウルスプログラムが始まりました。このプログラムはいくつかの組織とヨーロッパ中の協働により進められています。2025年までには本当のオーロックに似た動物を作ることを目標としています。

このほか、遺伝子編集によってオーロックスを生み出そうとする、ウルスプロジェクトもあります。これらの取り組みにはかつてナチスが考えていたような政治的な意味はありません。それどころか、もともとオーロックスが担っていた役割を、これらの牛が果たすことにより、生物の多様性が維持され、より健全な生態系を作ることを目標としています。 

参考:オーロックス – Wikipedia