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イッカクをなぜ飼育することができなかったのか?

野生で見ることが難しい海洋哺乳類が、研究のために飼育されており、水族館などで観光客や愛好家を魅了しています。しかし、すべての動物を飼うことができるというわけではありません。イッカクはどうでしょうか。イッカクは、イッカク科イッカク属に分類されるクジラの仲間で、オスが非常に長い一本角(実際は牙)をもつことで知られる動物です。 実は現在、飼育されているイッカクは1頭もいません。かつてカナダにあるバンクーバー水族館は、イッカクを飼育しようと試みました。しかし、このプロジェクトは6頭のイッカクがバンクーバーに到着してからわずか4か月後に、すべて死亡するという悲劇的な結果で終了することとなりました。どうしてイッカクは飼育できなかったのでしょうか。そこで今回はイッカクの生態を見ていくとともに飼育できなかった理由について考えていきたいと思います。

イッカクを飼育する目的

当時バンクーバー水族館の館長であったマレー・ニューマンは、1968年にイッカクをバンクーバーに持ち込むことを考えました。1955年に創設ディレクターとして雇われたニューマンは、鯨類の展示をすることにより、バンクーバー水族館を世界トップクラスの水族館にすることに成功しています。1968年の時点で、イルカ、シロイルカ、シャチが飼育されており、彼は次にイッカクを一般公開したいと考えたのです。

1960年代後半、カナダ人はイッカクについてはほとんど知っていませんでした。 ニューマンは、イッカクをバンクーバーに持ち込むことで、イッカクの保全への関心が高まることを望んでいました。 

水族館の役割

水族館には「種の保存」、「教育」、「調査・研究」、「レクリエーション」の4つの役割があります。このうち、レクリエーションは、水族館で市民がさまざまな水中生物を見たり、触ったり、餌やりしたりすることにより、有意義な余暇を過ごしてもらうことにあります。実際に多くの人が水族館をそういう空間だととらえているのではないでしょうか。しかし、このレクリエーション以外にも、3つの重要な役割があります。 

種の保存は、水族館で絶滅の危機にある生き物たちに、野生ではない環境で生きる場所を提供することで、種の多様性を守ることができます。また、繁殖や再導入などの活動も行っています。 

教育・環境教育は、水族館で本や映像では得られない生き物の姿や声、匂いなどを直接体験することができます。これにより、水中生物の知識や理解を深めるとともに、自然や環境に対する関心や愛着を育むことができます。 

調査・研究は、水族館で水中生物の生態や行動、生理などを観察したり、測定したりすることで、科学的なデータを収集したり、新しい発見をしたりすることができます。これらの成果は、学術的な発表や出版だけでなく、水族館の展示や教育活動にも活かされています。 

そしてこれらを行うための資金は水族館に多くの観光客が訪れることで賄うことができているのです。 

イッカクの生息域

イッカクが見られる海域は北緯70度以北の北極海です。このうち大多数の個体が棲息している海域は、カナダの北やグリーンランドの西のフィヨルドや入り江であると推測されています。生息数は約4万頭であると考えられています。 

イッカク捕獲の試み

1968年8月、ニューマンは他の3人の職員とともに、バフィン島の北海岸にあるポンド・インレットという場所に向けて出発しました。彼らはイヌイットのガイドに率いられ、2週間を費やしましたが、イッカクを捕らえることはできませんでした。ニューマンは翌年、もう一度、挑戦することを望んでいましたが、水族館にはさらなる遠征に資金を提供する余裕はありませんでした。このとき、彼は自分の夢が失われたと感じていました。 

しかし、1969年8月、ニューマンは、エルズミア島グライズフィヨルドに住むイヌイットのハンターが、負傷した赤ちゃんのイッカクを捕まえ、それを売る意思があるという知らせを受けました。しかし、残念なことに、この赤ちゃんがバンクーバーまでの空輸に耐えられないと考えたニューマンはその申し出を断わりました。

一方、ニューヨーク水族館は同年9月に若いイッカクを購入し、米国に輸送していした。ニューヨークは世界で唯一のイッカクを飼育していると主張していましたが、このイッカクは1か月後に死んでしまいました。 

2回目のイッカク捕獲遠征

あるとき、ニューマンはグラハム夫妻に出会いました。バンクーバー在住の裕福だった夫妻は、北極圏に旅行した際に見つけたポンドインレットに生息するイッカクに魅了されていました。バンクーバー水族館が1968年にイッカクを捕獲するために、この場所を訪れていたということを地元の人々から聞いた夫妻は、この神秘的な生き物を多くの人に知ってもらいたいと思いました。そして、夫妻はニューマンに連絡し、2回目の遠征に資金を提供することを申し出たのです。 

こうしてニューマンと他、11人のチームは、1970年8月1日に水産省からイッカクを捕獲する許可を得て、ポンドインレットに飛びました。 

3週間、何の成果も得られなかったチームでしたが、グリーズフィヨルドに住むイヌイットのハンターが若いオスのイッカクを捕まえ、それを売りたいと言っているという知らせを受けました。彼はすぐにグリーズフィヨルドに飛んで、イッカクの体の簡単な検査をし、グラハム夫妻からの許可を得ると、このイッカクを購入しました。ニューマンは、カナダのエスキモー系民族のイヌイットにより話される言語イヌクティトゥット語でイッカクを意味する、キーラ・ルグクという名をこのイッカクに名付けました。 

イッカク飼育の試み

ニューマンは1970年8月24日にキーラ・ルグクとともにバンクーバーに戻り、カメラマンや記者、そして大衆らに英雄として歓迎されました。さらにチームは、ニューマンがグリーゼフィヨルドにいる間に、2頭のメスのイッカクと3頭の子供を捕獲していました。この5頭は8月27日にバンクーバーに上陸しました。 

「本当に素晴らしい瞬間です」ニューマンは地元メディアに微笑みました。2年にもおよぶ奮闘の末、バンクーバー水族館は今や世界最大のイッカクのコレクションを保持することとなったのです。 

しかし、この栄光はすぐに悲劇へと変わりました。9月17日、地元の新聞は、3頭の子供が死亡したと報じたのです。市民による反発はすぐに起こり、バンクーバー州の自然主義者連盟はこのイッカク遠征を強く非難しました。さらに捕獲許可を発行したはずの水産省大臣のジャック・デイビスでさえ水族館を非難したのです。 

遠征隊のメンバーはこれらの批判を一蹴しました。シャチの飼育の成功例が一般の市民の認識を変えたのと同じように、イッカクを飼育することによって、この生物についての理解を促進することができると強調したのです。 

ニューマンはイッカクの死に対し、ひどく取り乱しましたが捕獲行為は正当であったと信じていました。当時の他の研究者と同様、彼は北極圏での種の保存に関し心配をしていたのです。国民の理解を得られない限り、イッカクはいずれ滅んでしまうでしょう、と彼は国民の抗議にいたいして反論しています。 

11月、反対の声は、2頭のメスのイッカクの死後、再び燃え上がりました。このとき動物虐待防止協会は水族館を非難しました。バンクーバー市長のトム・キャンベルは、公開書簡において、最後の1頭であるキーラ・ルグクを北極圏に戻すように彼に求めました。 

しかし、ニューマンはこの呼びかけを再び却下しました。キーラ・ルグクを北極圏に戻すことは、冬が近づいているため不可能だったのです。彼は「私たちの判断する限りイッカクは健康です」と国民に保証しました。 

残念ながら、キーラ・ルグクの健康は長くは続きませんでした。12月23日、水族館はキーラ・ルグクが病気であると報告しました。こうしてこのイッカクは3日後に亡くなることとなります。飼育されていた期間はたったの4か月でした。

イッカクを飼育することができなかった理由 

なぜイッカクを飼育することができなかったのでしょう。イッカクを飼育するには広いスペースを必要とします。彼らは大型の海洋哺乳類であり、オスは3.95から5.5メートルにまで達します。それに加え、1.5から3.1メートルにもなる長さの角があります。この角は歯が変形したものです。イッカクの歯は上顎に2本の切歯があるのみですが、オスでは左側の切歯が長く伸びて牙となります。牙は、上唇を貫き、前方に突き出す形となっています。 

この巨体と長い角を持つ動物を小さな水槽でしいくすることは、彼らにとってストレスであるうえ、怪我をする恐れがあります。 

また、バンクーバー水族館で飼われていたイッカクはみな肺炎にかかり亡くなっています。これは、北極圏に生息するイッカクが飼育下の環境に適応できなかったものと考えられます。 

まとめ

この一連のイッカクの死は、水族館の動物の扱いについて激しい批判を引き起こし、今後のイッカク捕獲プロジェクトに終止符を打つこととなりました。 

しかし、皮肉なことに、この捕獲プロジェクトはイッカクに対する一般人の認識と感心を高めることとなりました。イッカクに関するこれらのメディアによる報道は、多くのカナダ人がこれまで聞いたことのなかった動物を広く紹介する結果となったのです。この関心の高まりは、イッカクに関する研究に拍車をかけ、1971年にイッカク保護規制の実施を迅速に進める結果となりました。 

今日、バンクーバー水族館で見られる唯一のイッカクは、本館の天井から吊り下げられた模型です。水族館のイッカク捕獲プロジェクトの物語は、希望と悲劇に満ちていましたが、ほとんど忘れ去られてしまっていますし、日本人にもあまりなじみのないことでしょう。しかし、50年経った今、もう一度考えなおす価値があると言えるでしょう。 

参考 Why Narwhals Can’t Live in Captivity [+ Where Can You See Them] – Polar Guidebook

Blake Butler: Tragic history of Vancouver Aquarium’s narwhals is worth revisiting | Vancouver Sun

画像引用

Dr. Kristin Laidre, Polar Science Center, UW NOAA/OAR/OER, Public domain, via Wikimedia Commons